京都人の嫌らしい言い回し

京都に住んで早6年目になります。今まで数々の京都人と関わってきたのですが、やはり、京都人というのはメディアでもとりだたされている通り、「陰湿」です。

 

顔は笑っているし、目も笑っているように見えるのだが、腹のなかでは相手を蔑んでいる。そして、それを腹のなかに納めっぱなしにするのも自身のプライドが許さないので、遠回しに刺すことで解消して、陰でニヤニヤしているという感じでしょうか。京都の住民としてはやはり嫌ですね。なかなか京都人のことを心から信頼することはできません。飲み会で酔っ払っても京都人にだけはスキを見せないようにしています。

 

また、住んでいる地域によってランクづけをするというのは有名です。うちは洛中の人間やさかい、みたいな。私の周りではそのような方はいませんが、マダム界隈ではそのようなプライドのぶつけ合い合戦が行われているのでしょうか。関東でも、埼玉はダサい玉とか、八王子は東京じゃないとか、なんやかんやあるらしいですね。

 

しょうもないなあと思ってしまいます。なぜ周りと比べてしまうのでしょう。自分よりも下の存在を見て優越感に浸りたいというのは多くの人間が抱いている欲求です。しかしそれは、自分の見地の狭さの現れだと思うのです。

何がすごくて、何がすごくないのかなど、人それぞれでしょう。先の例でいくと、洛中以外に住んでいる京都人は皆失敗者であるはずがありませんね。当たり前です。逆に、洛中に住んでいる金持ち層の中にも失敗者がいることでしょう。一見幸せな家庭のように見えて、実はDVをしているだとか、家庭が冷めきっているだとか。

 

私はいかに幸せであるか、というのが成功、失敗の尺度だと思います。自分の人生は幸せなんだろうか、隣の人はすごく幸せそうにみえる、その隣の人は不幸っぽい、だから自分はまあ普通に幸せって感じかな、みたいな他人と比べることのできる尺度ではありません。自分が良いと思えば良いのです。悪いと思えば悪いのです。

 

そんな簡単なことに気づけない大人が多すぎる。こんなことは学生のうちに学んでおけと私は言いたいですね。

 

 

今気づいたことがあるのですが、京都人ってビビりなのかなと思います。大阪人は明け透けなく言いたいことをズバッと言うイメージがあります。というか、私の知り合いの大阪人はほとんどそのようなタイプです。それって、私からしてみたら勇敢だと思うのです。普通はビビって言えないようなこともズバズバ言えてしまうというのはすごいですよね。一方京都人は、ズバズバ物をいうのが苦手なのです。だからほんのりと匂わせる。ある意味ビビりなんです。

 

もしズバッと言って相手をブチギレさせて喧嘩になったらどうしよう、、あ、ちょっと匂わせてみるか、、いざとなったら言葉の綾とか言って誤魔化せばいいし、、

 

ああ情けない。京都人よ、生まれ変わってくれ。プライドなど捨てなさい。